やすおかのポケモンなどブログ

ポケモンの記事を書くと見せかけていろんなゲームの記事を書いてます。ポケモンは対戦派ですが、一番重要なのは楽しむこと。まだ見ぬ未開の地を求めて

プロトタイプ版ポケモン「カプセルモンスターズ」を知っているか?資料から見るポケモン制作秘話。【祝・ゲームフリーク30周年】

ポケモンの雛形「カプセルモンスターズ」を君は知っているか?

ゲームフリークが30周年を迎えた。

彼らは言うまでもなく「ポケットモンスター」こと「ポケモン」を作ったレジェンド達だ。

しかしながら、大抵の人は「ポケモンを作ってる会社」くらいの認識で、それ以外の彼らについては、ほとんど知られていない。

ましてやその雛形の「カプセルモンスターズ」のことなど誰も知らない。

 

ゲームフリーク公式チャンネル:

https://www.youtube.com/channel/UCstGT-0e8lJIehj44lyOgVA/about

 

ゲーフリ公式チャンネルが半年で2.3万人程度の登録者数しかいないことからも、世間の関心の低さがうかがえる。これはポケモン公式チャンネルとは70万人くらいの差である。(2019/5/20現在)

 

さて、ゲーフリ30周年を大々的に祝ってくれたのは老舗ゲーム誌のファミ通くらいなものである。

ゲーフリはファミ通への信頼と感謝の証に、ポケモンのプロトタイプ版だった「カプセルモンスターズ」の資料を公開してくれた。

 これは昨年末にTVでも公開されたようだが、このように本の形で公開してくれたのは非常に貴重な資料となる。

今回はこのファミ通を参考図書として扱い、資料の解説や考察をしていくので、ぜひ以下の雑誌を手元に置いてこの記事をごらんになって欲しい。

(なんと表紙が艦これ6周年に食われてしまってゲーフリの影は非常に薄い。艦これファンにとっても、これまでの歩みや声優インタビューなどが載った貴重な資料だろう)

 

以下はファミ通のp98~p109を参照されたし。

【名前】ポケモン初期案はカプセルモンスターズ(Capsule Monsters)という名前だった

p98,p99,p100,p102

前述の通り、1990年の案では「ポケットモンスター」ではなく「カプセルモンスターズ」という名前だった。
企画者はもちろん、田尻智氏。

p98の企画書の表紙では、カプセルから飛び出したリザードンらしきポケモン(カプモン?)と、ゲンガーかバンギラスのようなポケモンが戦っている。

 またp102では、既に完成版とも言えるようなロゴが出来上がっていた。

 

【制作時期】1990年から企画・制作が始まっていた。

p98

これはゲーフリチャンネルでも、増田氏が触れている。

「ポケモンは1996年からだと思われているが、6年間ずっと作っていた。その間会社が潰れそうにもなったが、なんとかがんばった」とね。

もしその間にゲーフリが潰れていたら、今の世界はずいぶん違うものになっていただろう。

田尻氏、増田氏らゲーフリ苦難の6年間の末、ポケモンは生まれた。

 

【ヒットの予感】口コミでヒットすることが予見されていた

p99,p100

天才・田尻智氏はポケモンが口コミで子供たちの間で広まることを予見していたようだ。

「ねらい」と書かれたページ(p99)では

②また、液晶画面のなかの世界のフレームをこえて、子供たちの新しいコミュニケーションの場を提案します。ゲームデザインだけに限らず、口コミや友達との交流、交友関係など、現実世界(リアルワールド)での、広い意味でのコミュニケーション提案として、お考えください。

参照:週刊ファミ通2019年5月23日号 p99

 

「近未来ストーリー(仮説) 」と題されたページ(p100)に書かれたストーリーにも、作中の世界でも『口コミでヒットした』ことが示唆されている。

 

【対戦】ポケモンバトルは、オプションまたは第二の目的だった

p101

今やポケモンの主目的であると考える人も多いポケモンバトルは、実はゲームのメインではなかったことが、企画書には記されている。

 ②オプションとして、または第二の目的として、「格闘場」モードも考えられます。ケーブルを使っての対戦モードです。

参照:週刊ファミ通2019年5月23日号 p101

 

流石の田尻氏も、多くの若者がオンライン対戦で毎日頭を悩ませたり、世界大会が毎年開かれることなど想像もしていなかっただろう。

 

ただ、初期案からバトルが想定されていたので「強くてカッコいいなにかを集めたら、戦わせたい」という男子のサガを、少年の心を持つ田尻氏はよく理解していた。

 

 

【マップ・世界観】関東が舞台も、軍事基地のような存在も

p101,p102,p108,p109

 初期案から、日本の関東をモデルにした近未来を舞台にしていたようだ。東京湾には3つの河川が流れ込んでおり、利根川の必要性を感じない。(p102)

 またラプラスに乗って海を冒険したり、洞窟を探検したり、怪獣墓地なる塔があったり……。(p108)

この辺は初期からだいぶ構想がまとまっていたようだ。

ただ、p101の地図をよく見ると、右下に砲台を構えた軍事基地のようなものが存在する。

田尻氏は、ウルトラ警備隊のような部隊を出したかったのかもしれない。

 

【交換】ポケモンに「値打ち」が設定され、ゲーム内マネーで売買するつもりだった

p99, p100,p103

これはロケット団の話ではない。

 初期案では、ポケモン(カプモン)はゲーム内マネーでトレードされるつもりであったようだ。

p103には「いちろうに2000Gでうった」とはっきり書かれている。

また同ページには、リザードンに似た姿の「ドラゴン4」いう奴のステータスに「ねうち」という項目があり、ねうち128000GOLDと値がつけられている。

もうロケット団を悪くいうことは難しいかもしれない。

 

また、我々は「ポケモンは1:1で交換するもんじゃ」と20年以上刷り込まれてきたが、最初はそうではなかったらしい。

p100の仮ストーリーにも、要約すると「1:1じゃ釣り合わないから2:1交換を申し込まれたが、それじゃ釣り合わないので2:6の交換にしろ」などと先生に怒られそうなことが書いてあった。

 

実はこれにも、田尻氏の狙いがあった。企画書の最初のページに、またも重要なことが書いてある。

③仮想のゲーム世界のなかにある「おかね」の意味を問いなおしてみました。交換価値から、子供達が現実世界での「おかね」や「もの」の価値まで広げて考える小さなヒントになれば、いいと思います。

参照:週刊ファミ通2019年5月23日号 p99

ポケモンの大ヒットにつながった「交換要素」も、田尻氏のこのような思想から生まれたものだった。

 

 

 

【ステータス】カリスマ度など実装しなかった数値があった

p100,p103 

最初はプレイヤーの「カリスマ度」というパラメータを上げることで、ポケモン(怪獣)と仲間になっていく、という構想があったようだ。

このカリスマ度というのは実装されなかったが、持っているバッジによって他人のポケモンが指示を聞くかどうか、という要素に引き継がれたのかもしれない。

 

他にもTP(技を使うために必要なポイントと思われる)が設定されていたり、現在のPPとは異なるシステムを予定していたようだ。

中でも前述の「ねうち」は、今考えるととんでもないパラメータだった。現在では、ポケモンを売買する輩はロケット団やその類と決まっているからね。

 

【ポケモン達】ポケモンの名前や見た目が違っていた。かわいいポケモンがいなかった

p104,p105

まあ当然の話ではあるが、最初のポケモン案は今とはだいぶ異なるものも多かった。

特に私がヤベーと思ったのはギャラドスだ。

外見が完全にモンゴリアンデスワームだ。初期は龍モチーフじゃなかったようだ。恐ろしいだけで、カッコ良さはない。

「オメガ」と名の打たれた仮ポケモンのように原型をとどめていないものもいる。こいつは没ポケモンだったのだろうか。

 

そして初期案にはピカチュウやイーブイのような、"看板役者"とも言えるかわいいポケモンはいなかった。

田尻氏の初期イメージはウルトラ怪獣であったようで、女子人気などは考えていなかったらしい。今回のファミ通記事で伏字になっているのは、おそらく当時の加盟にウルトラ怪獣の名前などをそのまま用いていたのであろう。

一方、怪獣っぽい見た目のポケモンは、初期案から実装まで、ほとんどルックスに変化が見られなかった。

 例えばサイドンやガルーラ、ヤドラン、ニドクイン、ニドキングなどである。

また、「進化」が初期案から想定されていたのかは資料からは読み取れないが、タマタマとナッシー、ニドラン♂♀とニドクイン、ニドキングがいたことからも、薄っすらと想定していたのかもしれない。

現在のパルシェンみたいなやつがシェルダーという名だったり、ヤドランみたいなやつがヤドンという名だったりするので、まだ何も考えてなかった可能性もある。

 

 

【人間キャラクター】女性主人公が想定されていた

p106

今でこそ当たり前になった女性主人公だが、初代では存在しなかった。

せいぜい公式攻略本の表紙にそれっぽいキャラがいたのと、「ポケスペ」で登場したくらいだ。

www.mikai.jp

これが公式化したのは昨年の「ピカブイ」でようやくだし。

 

しかしながら、実は初期案ではラフな長ズボンを履いて旅をする女性主人公らしき人物が描かれていた。(p107)

そこでは旅の道中、怪しげな男に「こいつと交換しない?」と声をかけられた女性主人公が「ニドランと?馬鹿にしないで!」と強気に断るイラストが描かれていた。

 

さらにもう一つのイラストでは、女性主人公がホテルに泊まる一コマも。

そこでは「エナジーバスケット」という回復装置が用意されており、ポケモンセンターの原型となったようだ。

何故この子は消えたのだろうか?

おそらく「赤緑」発売当時のマーケティングでは男の子をターゲットに絞っていて、女の子に人気が出ることは想定していなかったのだろう。

もっとも、強気な女性主人公は赤緑に登場こそしないが、そういうキャラクターの要素はカスミやミニスカートたちなどに受け継がれている。

 

 

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