ニンテンドーラボは驚くほど大きなダンボール箱に入ったダンボールだった
4月20日、とても大きなダンボール箱がAmazonから届いた。
なんだろうと思って開けてみると、中に入っていたのも大きな箱で、さらにその中には小さなパッケージとダンボールの山が積まれていた。
ゴミの誤配送または軽い嫌がらせの類かと疑った。が、よく見たらNintendoロゴがあったので、そういえば今日はニンテンドーラボの発売日だったなと思い出した。
ニンテンドーラボは想定していたよりもずっと大きい箱に入っていた。なんでも小さいければ評価される現代でこの大きさは驚きだ。さながらバブル時代の携帯電話のようだ。
果たしてこんな場所をとる物が1年後も私の部屋に存在していられるかは謎だが、この時代に段ボールを売る決心をした任天堂のチャレンジ精神には感服する。
ニンテンドーラボの3つの体験
ニンテンドーラボには、「作る」「遊ぶ」「わかる」という3つの体験がある。
これらの体験を順に、私の試遊をもとに解説していこう。
結構長いので、読むのが面倒なら「まとめ」だけ読むのを推奨する。
作る体験
「作る」体験は手軽ではなく、苦労と学習を楽しむ遊びだ。これで何が楽しいか?と言ったらそれは「やりがい」ということになるのだろう。とは言っても、ニンテンドーラボはブラック企業ではない。
「やりたくなかったら、やめてもいい。買うなら、それなりに覚悟せよ」と私は伝えたい。
決して従来のビデオゲームのようにお手軽ではないのだから。
組み立てはとにかく大変。小学校低学年だったら10分で飽きるはずだ
電子説明書と化したニンテンドースイッチの説明を読んでいるうちに、分かったことがある。
それはニンテンドーラボとは「苦労」を楽しむ遊びだということだ。
「若い時の苦労は買ってでもせよ」
そんな説教じみた諺(ことわざ)があるが、ニンテンドーラボはまさにそれを体現した遊びだ。
この諺は、「若い時は体力が有り余っているので、フル稼働させて目一杯疲れれば耐性ができて歳をとってもある程度いける」という意味でもある。
さて、若い頃の体力の積み重ねがない私にとっては、ニンテンドーラボはなかなかしんどい体験となった。
「ゼルダの伝説BtW」や「スプラトゥーン2」や「マリオ オデッセイ」とは違う。
ニンテンドーラボはゲームを起動させて5分もしないうちに楽しい世界に案内してくれるゲームではない。
代わりにニンテンドーラボは、まず段ボールに折り目をつけることをプレイヤーに教える。それを折りたたんで箱にして、基本はその繰り返しだ。
ニンテンドーラボの対象年齢は6歳からで、1人で作るのに適した年齢は10歳からになっている。
勉強嫌いの小学生だったら、おそらく10分もすればもう飽きて組み立てをやめているだろう。
その後、お父さんが1人で組み立て、お母さんは「アンタが欲しいって言ったんじゃないの!?」と怒る姿が目に浮かぶ。
決してお手軽ではない。その製作時間は……
以上のような理由で、もし貴方がニンテンドーラボがお手軽な遊びだと思っているのなら、購入は考え直した方がいい。ロボキットは特にね。
子供たちがもしこれを買いたいというのならば、それなりの「覚悟」を持っているか確かめる必要がある。
そうでなければ、制作者は親である貴方になることだろう。
ちなみに30代で不器用な大人の私は、制作過程の8分の1を作る時点で1時間もかかってしまった。最終的にこのニンテンドーラボ・ロボキットを完成させるのに5時間半もかかった。
製作時間の目安は180分~240分と言っているが、きっと手慣れた職人がテストで作った時間を参考にしているのだろう。
動画を使った説明は驚くほど丁寧だし、ダンボールは組み立てやすい。
しかしながら、任天堂は厳しくも優しい。高級ホテルのように客を手厚くサポートしてくれる。
ニンテンドースイッチ本体で、動画により作り方を説明してくれる。
それも再生は自分が再生ボタンを押した時だけで、何度でも巻き戻して確認することができる。
画面内の段ボールは3DCGで再現されており、カメラアングルを変えてどの視点からでも見ることができる。
また、動画にはリズミカルな音楽が流れ、黙々と無表情になりがちな作業を明るくしようとしてくれる。
さらにメッセージで励ましながら、時に遊び手を勇気づけ、褒め、そして時には寒いオヤジギャグをかまして呆れさせてくれる。
↑オヤジギャグの例
また、ニンテンドーラボの素晴らしい点は、組み立てに接着剤もテープもニッパーも何も要らないことだ。手があればなんとかなる。
カレンダーは大体雑に破ってしまってイラストを台無しにするこの私が、パーツのあらぬ所が千切れるような事はほぼ無かった。1箇所だけ挿し込み口を作るのに失敗したため、ガムテープを使用したが。
それとニンテンドーラボを作っていると、小さなゴミが出やすい。
子供には片付ける習慣を身につけさせたい所だ。
私?散らかしっぱなしだな。
耐久性
ロボットキットは私が作った割には意外と頑丈だ。もっとすぐどこかが破れたりするんじゃないかと危惧したが、任天堂のダンボールはそう易々とは壊れないようだ。
ただ所詮はダンボール。もし1年、半年もぶっ続けてつかったらどこかガタが来そうではある。閉じたり開いたりを繰り返す入り口など早くも怪しい。一番怪しいのは腕にハメるパーツと本体の付け根だ。
置き場所に困る大きさのロボキット
ロボキットの完成品は、とにかく場所を取る。デカい。一昔前のテレビやPCディスプレイと言えば伝わるだろうか。
紐はダンボールに収納せよと言っているが、これを出し入れするのもめんどくさい。
なんでもめんどくさがりなゲーマー向けではないなと感じる。これはむしろ、普段ゲームをやらないアウトドアな人間にこそふさわしいのではないだろうか。
遊ぶ体験
ここからはロボットを実際に完成させて、遊んだ体験を記していく。手足や頭を使ってロボットを動かすのがメインの遊びとなる。
完成させたロボットで遊んだ時感じたのは喜びというより……
最後の方は作るのに疲れてしまって、どう作っていたのかは覚えていない。画面を見ながら体がオートマチックで動いていた感じだ。
しかしながら、5時間半かけて完成させたロボットのコントローラー。長くかかった分、完成させたときにはかなりの達成感があった。
こいつを使っていよいよ遊ぶ。だがそこでも一つの困ったことが起きた。体に装備するのは中々恥ずかしかった。
頭にはバイザー、手には棒、足にわっかをハメて、背中にはぴっかぴかのランドセル。
残念なことに、私は小学生ではない。30代の格好としては明らかに不似合いで恥ずかしい気持ちになった。できたのが深夜だったので、テンションで乗り切れたが。
そしていよいよロボを動かした。これは中々ユニークな体験だったが、正直「夢中になるほど面白い!」という感じではなかった。私がゲームにハマる時は1回目でドハマりすることはいが、それでもちょっとゲームとしては単純すぎるように思う。
私はロボットを動かせて嬉しい、と思うよりも自分1人で完成させたものがしっかり動いたことに安堵を覚えた。
正直言うと、装着するのがめんどくさい。1回遊んだらもうお腹いっぱいになった。
だが私は特に不満は抱かなかった。旅行先で、珍しい料理屋に入り、それを食した時を考えてみるといい。
珍しいだけで大して旨くない食べ物だったかもしれないが、旅行先の食事は普段とは違う体験で、記憶に残る経験となることが多い。
私にとってニンテンドーラボのロボキットというのも、そういう体験だった。言うなれば「1度しかやらないが、十分満足」
だから別にニンテンドーラボ ロボキットの「遊ぶ」に悪い印象は持っていない。
わかる体験
ロボを動かすのには早々に飽きた私だが、ニンテンドーラボの3つ目の特徴、「まなぶ」項目は興味深く感じていた。
ニンテンドーラボの仕組みばかりではなく、スイッチ特有のjoy-conについても詳しく知ることができる。
手作業とビデオゲームの中で学べることにこそ、ラボの神髄を見た
小学生というものは、基本的にお勉強が嫌いで、それでいて勉強が苦手であることが許されない存在だ。
お勉強嫌いな小学生はテストの補習をさせられ、塾に無理やり通わされ、ますます勉強嫌いになっていく。
そのようにろくに学ばなかった小学生が、将来学者や技術者になど憧れを抱くわけがない。
子供たちが憧れを抱くのはYoutuberだ。ヒカキンだ。はじめしゃちょーだ。
別にそれがダメというわけではない。彼ら大物Youtuberも個人プロモーションの成功者としてリスペクトされるべき存在ではあるのだが、大人からすると理解が難しい存在とされている。
なぜ彼らは憧れの対象なのか?それはスマートフォンやタブレットが小学生にとって身近な存在だからだ。
目の前に無いもの、知らないものには憧れようがない。
任天堂は日本の技術の未来を危惧している。かつて技術大国と言われた(今もそうだと言う人もいる)日本の行く末は危ういのではないか、とね。
そのため、「教育」に手を出さなければ、と任天堂は目論んだ。
つまりニンテンドーラボとは任天堂の教育業界への進出なのだ。
今、ニンテンドースイッチも小学生にとって身近な存在になりつつある。それを活かして子供たちに技術者の素晴らしさを教えたい、そんなビジョンが任天堂にはあるようだ。
少なくとも奔放な小学生にとっては、学習塾よりもよっぽど効果がありそうだ。イヤイヤ通わされて無駄に座っているよりも、よっぽど効果がある。
情報学や高校レベルの物理学の話題だけではなく、経済学的な話もある。こんなのを6歳児や10歳児に教えようというのだから、任天堂の教育熱心さにはただ感心するばかりである。
ツクルト室長、マナンジャ、アソンのキャラも非常に親しみやすい。彼らはEテレの午前中の番組に出演すればいい。
そして何も学習できるのは小学生だけではない。年齢が何歳であっても、ニンテンドーラボを通じて学ぶ体験ができる。
この学びの体験こそ、ニンテンドーラボの神髄を感じた。
モーションIRカメラだの、HD振動だの、ジャイロセンサーと加速度センサーの関係。ニンテンドースイッチに詰め込まれている"ハイテク"のすべてを分かりやすく教えてくれる。
誰でも技術者。"ヒミツの研究室"
そして本当の"奥義"とでも呼ぶべきものが、「ヒミツの発明室」である。ここでは入力と出力を組み合わせることで、自分だけの遊びが開発できる。
技術職の人が毎日残業して仕事でしてることを、小学生もできてしまう。
これを幼い頃より遊んでいたのならば、将来その中からスーパーエンジニアや天才発明家が現れてもおかしくない。
任天堂はおそろしい教育マシーンを作った。
ニンテンドーラボは、ゲームではない。遊べる技術者養成マシーンだ。
この装置はただ「面白い」というのとは何かが違う。
苦労した、動いた、勉強になる。そして、最新の技術の結晶であるニンテンドースイッチをフル活用した工作ができる。
その「他では得られない経験」に7000円強のお金を出したのだ。
これこそが任天堂がニンテンドースイッチで本当にやりたかったことなのだろう。
まとめ
ニンテンドーラボの3つの柱は「作る」「遊ぶ」「わかる」。
この中で最も疲れるがやりがいがあったのは「作る」で、最も興味深かったのは「わかる」。
「遊ぶ」は、作っただけで満足して結構すぐに飽きてしまった。
ニンテンドーラボを一言で表すなら、ゲームというよりも遊びながら学んでいく体験。
任天堂の教育業界への進出と言え、「面白い」というよりも「他では得られない体験」が得られる。
ニンテンドーラボは、ニンテンドースイッチのハード面の特性をフルに引き出しているし、遊び手はスイッチの特性を自由にいじくれる。