変化の時期に生まれたゲーム、LIVE A LIVE(ライブアライブ)
1994年とはどういう年だっただろう。
世界に目を向ければ、平和の祭典・冬季オリンピックがノルウェーのリレハンメルで開催され、アメリカではサッカーのW杯が行われ、南アフリカではマンデラ氏が大統領になりアパルトヘイトが終わりを告げた。
その一方でアイルトン・セナや金日成が亡くなり、ルワンダでは虐殺が起こり、第一次チェチェン紛争が起きた悲劇の年でもあった。
そんな中、日本では年末に初代プレイステーションとセガサターンが発売され、次世代機への機運が高まっていた。
この年の流行語は安達祐実とイチローと宮沢りえに譲ったものの、それまで2Dが当たり前だったビデオゲームに、3Dという新風を吹かせたSSとPSの登場には、すべてのゲームファンが未来を感じた。
さて、この流れだと今日のお話はそんなSSやPSの懐かしいタイトルかと思っている読者さんには残念なお知らせだが、そうではない。
時は1994年9月。まもなくSSとPSの発売を控え、"時代遅れ"になりかけていたスーパーファミコンに突如現れた新規RPGタイトルがあった。
それがスクウェアより発売された 「LIVE A LIVE」(ライブアライブ)だった。
実験的なRPG
このゲームの最大の特徴は、それぞれ独立した短編RPGの詰め合わせ、オムニバス形式であることだ。
短編のオムニバス形式と言えば、「ドラゴンクエストIV」を思い出す人も多いだろう。
だがDQ4との決定的な違いは、それぞれの世界観・キャラデザインが全く異なる短編だということだ。
また7つのシナリオどの順番からでも遊べるのもDQ4にはない点だ、
LIVE A LIVEは、いわばロックマンのメソッドを取り入れたRPGだった。
ロックマンの8大ボスの画面を見ていると、どのボスのステージを選ぼうかと、とてもワクワクするものだ。どのステージからでも選べる自由というのは当時とても斬新だった。
もしこれがRPGだったらどうだろうか?考えただけでワクワクしないだろうか。
しかし残念なことに、このゲームシステムは当時、実験的過ぎた。
「LIVE A LIVE」の売り上げは約27万本にとどまり、同年同社から発売した「ファイナルファンタジーVI」の255万本に大きく水をあけられてしまった。
なおスクウェアはこの「LIVE A LIVE」をプロトタイプにして、1年後に「クロノ・トリガー」というSFC最後の大ヒット作を完成させるが、それはまた別のお話である。
アーティスティックなグラフィック、世界観
私がこのゲームにまず心惹かれたポイントは、グラフィックの美しさだ。
もちろんグラフィックの緻密さという点では現代のロールプレイングゲームには足元も及ばない。現代のRPGのグラフィックがヒマラヤ山脈レベルだとすれば、当時はまだ富士山の五合目にもたどり着いていなかった。
だがルネサンス美術の彫刻を見て、稚拙な過去人の創作物だなどとは思わないのと同様に、確かにこの時代ならではの美しさ、即ちドットに込められた職人芸を楽しむことができる。
作品の空気感を作るのは、解像度の高さや情報量の多さだけではないということだ。
細かなドット表現されたキャラクターや背景は洗練されており、日本の職人芸が感じられる。
ただこれも残念なことではあるが、当時の人々はプレステやセガサターンのカックカクな3DCGに夢中だった。
明治維新の際、ちょんまげ頭など日本的ファッションが「ダサい」と言われたのに似てる。当時の時代背景を考えれば仕方のないことなのかもしれない。
ドット絵も日本的ファッションも、時代を経た今だからこそ、きちんと評価することができる美しさである。
それぞれのシナリオ紹介
ここからはそれぞれのシナリオを、私がプレイした順に紹介していこう。
しかしどれもこれも中々に苛烈なストーリーである。例えば「異世界転生はスマートフォンとともに」を楽しみに見ていた昨今の中高生などは、あまりの過酷な内容に心臓が止まってしまうかも。
功夫編
テーマは「理不尽な暴力」
中国拳法の達人の老師が、後継者を育てるストーリー。3人の弟子を育てていくのだがとんでもない理不尽にさらされてしまう。
ストーリーのあまりの急展開には驚かされた。
女の子を中心に鍛えよう、と思っていたら何故こんなことに……。
ここでは中国の自然がドットで美しく描かれている。
消費者の多くがカクカクの3Dに目を奪われている時期じゃなければもう少し売れただろう、とは思いを馳せる。
ストーリーは短めながらも起承転結がはっきりしていて、短編RPGとして遊びやすい。
原始編
テーマは「性欲」
言語を身に着けていない原始人達のストーリーで、システムメッセージを除き、登場人物が言葉を発しない。
このおかげで私はイマイチ細かなストーリーや次に行く場所が分からなかったが、大まかなストーリーは単純。
ゴリラしか友達がいなかった主人公が女の子と仲良くなって、敵にさらわれた女の子を助けに行くというもの。
男社会で育った主人公の原始人は、性欲のみを行動原理としているようだ。ちなみに相棒のゴリラも、ケダモノらしく性欲に忠実だ。
ラストもちょいアダルトなテイスト。
私はこの原始編は話も攻略法もわかりづらくストレスが多かったので、あまり好きではなかった。
だが、ラストですべてを許した。
全編プレイした後に振り替えると、このシナリオはさほど難しくないように感じた。
幕末編
テーマは「貴方は殺人鬼か平和主義者か」
メダルギアソリッドを和風にした風のシナリオ。一般的なRPGのようなストーリーはない。忍者になって城から要人救出&首謀者の暗殺を目指す。
メタルギアのように隠れてコソコソ進むか、敵を殺しまくって進むかを選ぶことができる。
殺戮の道を選ぶと主人公は惨忍で、無抵抗な女中をも殺して経験値にしてしまう。
恐ろしい。そんな主人公を操作する自分も恐ろしくなってしまう。ダークサイドに堕ちる時のアナキン・スカイウォーカーもこんな気持ちだったのかもしれない。
私は最初は不殺の道を目指していたはずなのだが、気がつけば51人斬りをし、自分の手が真っ赤に染まっていた。
一度手にかけてしまうともうマップをうろうろしてる奴らは経験値にしか見えなかった。恐ろしい心理だ。
だが女たちの中にはくノ一や幽霊も紛れ込んでおり、一筋縄ではいかない。
ハニ―トラップも用意されており 、私はまんまと引っかかってしまった。
また幕末編はとても難度が高く感じた。
ダンジョンが複雑でどこへ行ったらいいか分からなくなるし、ボスは手ごわい。したくない殺生をしなければならなかったのも、ボスが強いからなのだよ。
西武編
テーマは「上手に罠を仕掛けられるかな?」
さすらいのガンマンとなって街を無法者から救え!というストーリー。
30分アニメにも満たないようなボリュームの短編だが、クールな主人公とライバルが共闘して敵をやっつけよう、って王道話である。
ゲームとしては街の人と協力してに罠を仕掛けまくって、たった一回しかない戦闘をどう乗り切るかというものだ。
街の人が全くやる気を見せない場合戦いは地獄となり(私はこれで3回は死んだ)、本気を出せば街の人だけでボス以外を撃退してしまう。
現代編
テーマは「ストリートファイター」
スクウェアが当時のカプコンに抱いていた憧れを感じさせるシナリオだ。
主人公が強い相手を求めて格闘するのは、まんまストリートファイター。
またボス選択画面や、技をラーニングするシステムではロックマンの意匠が見える。このゲーム自体がロックマンっぽいが。
マップは無く、ストーリーは単純で王道。ただひたすら格闘家たちとバトルするというものだ。
登場する格闘家には、小錦やハルク・ホーガンをモデルにしたキャラもいる。
すぐ終わるので、遊びやすかった。
が、多分これを最初のシナリオとしてやってしまうと、「なんだこのゲームは」と呆れていたかもしれない。
幸いにも5番目にやったので、「ああ今度はこんなテイストなのか」と自然に入っていけた。
マップやそれなりの長さがあるシナリオの間にやることで、アクセントになるタイプのシナリオだ。
SF編
テーマは「サスペンスホラー」
このシナリオはスタッフが名前を打ち間違えてしまったようだ。本当は"SH"(サスペンスホラー)編とする所をタイプミスで"SF"編になったのだろう。
主人公はゆるキャラで見た目はほのぼの系だし、きっとワクワクの宇宙探索のシナリオなんだろうなあ、なんてイメージしていたのだが、そこは死の恐怖が支配する空間だった。
サスペンスやミステリーにおける「絶海の孤島」や「嵐の中の洋館」が、「宇宙船」に変わっただけだったのだ。まんまと騙された。
サスペンスホラーやミステリーの映像作品だったら冷静に見ていられる私だが、ゲームとなると"当事者"にならざるを得ないので、話は別である。
とにかく怖いのでさっさと終わらせたい、途中からはそれしか考えられなくなった。
演出もホラーゲームのそれだ。このシナリオでは基本BGMが流れないのだが、恐ろしいイベントが発生すると、突然不安を煽るようなBGMやサイレンや獣の鳴き声が聞こえ、プレイヤーを恐怖に陥れる。
戦闘パートがラスボス戦までないことも逆に怖さを増長させた。殴って解決できるなら、怖くはないのだが。
見えない"何か"に常に追われているような感じがした。
ストーリーも演出もとにかく怖い。そういう意味で、かなり印象に残るシナリオだった。
二度とやりたくないがね。怖いから。
近未来編
テーマは「男の友情と巨大ロボ」
ご存じ島本和彦がキャラデザを担当し、特撮やロボットアニメの意匠があちらこちらに見られるシナリオである。
超能力が使えるワルの主人公が、ロボットに乗って悪の組織をやっつけるストーリーは男の子なら熱くならないわけがない。私もシナリオはこれが一番好きだった。
それと同時に、主人公と不良仲間の友情は「あ、これ腐女子にウケるやつだ」と思わざるを得ない。まあそのくらい熱い友情話でもあったのだ。
ただ残念なこともある。主人公アキラがヒロインのパンツを盗み、それを装備すると強化されるのだ。ムッツリスケベならぬムッツリど変態である。
なお「近未来」となっているが、年代設定がどうも2014年くらいのようだ。
2014年が近未来。繰り返し言おう、2014年は1994年から見て近未来だったのだ。
時の流れというのは恐ろしいな。
またこのシナリオだけではないが、欠点として、次の目的地が分かりづらいことが挙げられる。
最近のRPGは親切にもポインタで目的地を指してくれたりするが、1994年ではそういうことは一切ない。メニュー画面に次にやることも書かれていない。
昔の人は攻略サイトもなしによくクリアできたものだ、と頭が下がる思いである。
中世編
テーマは「主人公(プレイヤー)を人間不信にすること」
ロックマンで言う所のワイリーステージだ。
一見、王道の中世風世界観のファンタジー。スクウェアの看板タイトルのファイナルファンタジーかと間違えるほどだ。そう、途中までは。
だがそこには、あっさりと手のひらを反す人間の恐ろしさが描かれている。
最近のニュースで言えば、大相撲で先場所優勝した日馬富士が、今場所は暴力沙汰を起こして一転極悪人になったようなものだ。
日馬富士も、もしかしたらオルステッドのような事情があったのかもしれない。
先ほど幕末編でスターウォーズのアナキンを例に挙げたが、ダース・ベイダーを持ち出すなら、こっちの方がよりふさわしい話だった。
最終編
テーマは「ヒーロー大集合お祭り映画」
言ってみれば、仮面ライダーディケイドやプリキュアオールスターズ、あるいはアベンジャーズだ。
今までの異なる世界の主人公たちが集結して、悲しみに囚われたラスボスと戦う。
そんな映画館でしか楽しめないようなスケールの大きい話が、3DSという小さな画面で楽しめるのには心躍った。(当時はTV画面だったろうが)
ストーリーとしては「七人の侍」のようなもので、今までの主人公たちが集まっていく過程が最高に熱い。
オルステッド編
未プレイ。またプレイしたら追記したい。
2017年にこんな野心的なゲームをスクウェア・エニックスが作れるとは到底思えない。
それどころか、2027年になってもどこの会社も作れないだろう。
1994年だからこそできた、そんな時代の香りを感じさせてくれるゲームである。