2017年になって初めて遊ぶグラセフ
先日のPSストアのセールで半額だったので、思わず購入した「GTA5」こと「グランド・セフト・オートV」。
前々から悪い噂を聞いていたゲームではあったが、私としては初めて手を出すことになった。
プレイ前の私のイメージとしては、なんか悪党になって暴れまわるタイプのゲームだなという認識だった。
概ね間違っていなかった。だが知っているのと実際に体験するのとでは、全然違うというだけで。
貴方はテレビを見ながらプロスポーツ選手や審判を批判するのが、得意かもしれない。
批判は簡単だ。椅子に座りながらリラックスした状態できる。
だが、もし大勢の観客の前で走りながら実際にプレーやジャッジしてみたら、TVの前にいる貴方がイメージしている程簡単にはできないはずだ。
ゲーム開始からのファーストインプレッション
まずローディングが長すぎだろうという欠点には目をつぶるとして、最高に頭をバカにしてくれるゲームである。
なんせゲームが始まって最初にやることが銀行強盗だ。このゲームは犯罪者以外のジョブ選択を許さない。
「プレイヤ―諸君には理性を放棄して思い切り悪党になってもらう」という制作側の強い意志が感じられる。
劇中劇で日本のアニメを皮肉った「プリンセス・ロボットバブルガム」とかいうアニメにもそういうメッセージが込められている。
まず△ボタン一つでそこら中のクルマを奪い放題なのだ。
気軽すぎるだろう。
このゲームは、マクドナルドでポテトを頼むのよりも簡単に車を強盗できる。
どんな高級なスポーツカーやスーパーカーでも、近づいて△を押す。これだけで運転手を引きずり下ろして、自分がクルマを運転できるのだ。
日本人には100%出てこない発想だし、企画しても500%却下されるだろう。こいつは頭がオカシイとね。
また一度自分が銃を構えれば、街の人たちが恐れをなして逃げて行く。
これでは自分が世界を制したかのような気分になるのも仕方がないことだろう。
もちろん、この世界にだって警察はいる。
だが、クルマ泥棒や殺人犯をちょっとの捜索で諦めてしまうような頼りのない連中である。
まあ犯人(プレイヤー)の凶悪さが増すに連れて、警察の追跡も執拗になり、ついには撃ち殺されてしまうが。
それでも〇ボタンを押せば多少手持ちの金が減るだけで再スタートだ。これでまた悪いことがたくさんできる。
自分がモンスターにならないよう。ゲーム終了後には自分をコントロールしよう。
気がつくと、私はこのゲームを笑いながらプレイしている。
いやもちろんゲームの中での出来事と分かっているから笑っていられるのだが、やってる行為を冷静に考えたらそら恐ろしいことだ。
間違いなく新聞やTVで365日ずっとトップニュースを飾るようなことばかりやっているのだから。
で、もっと恐ろしいのが、自分がそれらの行為、悪行三昧にまるで抵抗を感じていないことだ。
もちろん、普段の私ならこんなことは絶対にしないと言い切れる。
――本当に?
一瞬でも自分が疑わしく思えてしまった時、「このゲームは本当にヤバいやつだ」と確信した。
いいトシをした私でさえこうなのだから(心は12歳くらいだが)、これを未成年がやったらものすごい影響を受けそうだなあ、というのは容易に想像できる。
だからこそ、CS版はCERO「Z」になっているのだが。
未成年が、しかも小学生や中学生が笑いながら、あるいは怒り狂ってこのゲームをプレイしていたとしたら?
あるいは機械のように無表情でプレイしていたら?それはそれで怖い。
大人ですら軽くハイになってしまうこのゲームは子供にやらせるゲームではない。
アメリカでは8歳児がGTAを遊んだ直後に祖母を現実に射殺するという悲劇も起きている。
ゾーニングは厳重にされるべきだ。
ゲームやアニメは犯罪を促進するか?それとも抑制するか?
私は脳科学者でも統計学者でもないから、それは分からない。
だがこのゲームをプレイして、「何も影響を受けなかった、印象に残らなかった」という人たちがいたら、それこそ少数派だろう。
まあ逆を言えば、それだけ「脳に強烈なゲーム」だと言える。
最後にGTA5をこれからプレイする大人の読者たちに向けて、これだけは言っておこう。
このゲームを遊ぶのはいい。本能のままに遊んでいい。
だがこのゲームの電源を切った後は、いつもより理性を強く働かせて、本能に「鍵」をかけておくように、と。