令和の皆さん、平成の携帯ゲームハードについての記事だよ
ファミ通の平成ゲーム特集を見て泣いてしまった。
この雑誌の67ページから、心が懐かしいという感情で埋め尽くされた。
ページをめくるたびに、あの頃の記憶が蘇り、目頭を熱くさせてきた。全く、懐かしさというのはズルい。実にズルい。
580円で感動体験ができるファミ通の平成特集、これはおススメだ。
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この平成のゲームハードの数々を見て、私は未来を感じている。過去ではなく、未来。
確かに過去に出た物かもしれないが、ゲームハードというのはそのフォルムを見るたびに、無限の未来を感じる。
ソフトそのもののプレイ画面は、ちょっと古臭いけどね。
今回は平成のゲームハードの見た目について、主に語っていきたい。
なお、私は任天堂派で、しかも携帯ゲームが主戦場だったので、そこはご了承願いたい。
据え置きまで語り出すと終わらなくなりそうなので、今回は携帯機編とする。
輝かしかった平成の携帯機たち
ゲームボーイアドバンスSP~完成されたデザイン~
例えばゲームボーイアドバンスSP、コイツからは今見ても輝かしさを感じる。
私にとっての三種の神器のような存在だったかもしれない。
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私が持っていたのはこのプラチナシルバーで、銀色というのが新鮮だった。まるでオリンピックの銀メダルを手に入れたかのような、誇らしげな気持ちにさせてくれた。
今でも、これは完成された美しいデザインだと思える。ゲームボーイアドバンスも素晴らしかったが、折り畳みにして正方形に近い形になりポケットにも入れられる。ここまで持ってきたのは見事だった。
しかも、初代ゲームボーイのソフトも遊べる。まさに最後にして究極のゲームボーイだった。「コンパクトさ」という意味で携帯ゲーム機の目指す完成形だった。
コイツと同時期に出た「ファイナルファンタジータクティクスアドバンス」は、私にとって初めてのFFだったし、「ファイアーエムブレム烈火の剣」も相当遊んだ。
ニンテンドーDS~変な奴だったが、徐々にかっこよく~
そしてその後継のニンテンドーDS。
初めて商品イメージ図を見た時は「なんだこりゃ」というデザインだったが、何回かデザインが変更になり、発売時にはかなりカッコいいスタイルになっていた。
世界中で大ヒットしたし、ビデオゲームの普及に貢献した。
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ただ初期のDSは「蝶つがい」の部分が壊れやすく、その点は欠陥とも言える代物だった。また、少しサイズがデカかったし。
私のDSも、盛大に壊れたよ。最後はガムテープで補強しながら使っていたね。
ポケモン好きな私がダイヤモンドパール世代にあまり思い入れがないのは、この壊れてしまったDSのせいだったかもしれない。
ただ「マリオカートDS」により、任天堂初の本格的オンライン対戦が楽しめるようになり、
PSP(プレイステーションポータブル)~シンプルな外見と魅力的な機能~
そしてPSP(プレイステーションポータブル)
コイツは優れた携帯機で、ソニーは任天堂にはないアイディアをたくさん持っていた。
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まず携帯ゲーム機として、破格のスペックだった。解像度が高く、美しかった。
そしてゲームプレイのみならず、映像や音楽などをDLすることもできたし、持ち運んで楽しむこともできた。
スマートフォンが普及した今では「そんなの当たり前だ」と思われているだろうが、こいつは時代を先取りしていたのだ。
ソフトが扱いづらくPSP以外では使えないUMD(ユニバーサル・ポータブル・ディスク)というものだったのだけは、残念な点だった。さらにメモリーカードが別売りなのも。
だがPSPのデザインは、素晴らしかった。GBASPにも負けないくらい洗練されていた。
全体的に光沢のあるデザインが気品を感じさせるし、ボタンがクリアカラーになっているのも楽しくなる。特にLRボタンなんか最高だね。
余計なものは取り付けない、シンプルかつ、これもまた完成されたデザインだった。
PSVITA~ソニーのやらかし~
が、ソニーは後継機で「やらかした」。
PSVITAは、まず見た目から醜いデザインだった。PSPのような美しさが無かった。新鮮さも無かった。
PSPの完成された外観を、チョイダサにしてしまったのがコイツだった。横から見たとき、スティックがはみ出していたのがブサイクだった。
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PSVITAが大して売れなかった理由としては、たくさんある。
3G回線のデータプランが複雑でめんどくさいだとか、UMDが使えなくなったりだとか、未だにメモリーカードが別売りだとか、ソフトがろくなのがないとか、スマホでできる事をわざわざこれでやる意味を感じないだとか、イヤな所を挙げればキリがない。
そのなかで、まずスタイリングが「PSPよりダサい」と見えてしまったので、印象はより悪いものとなった。ちょっと縦にデブになっちゃった感じだし。
ニンテンドー3DS ~スマホに負けない!~
一方でたちまち勝ち組ハードとなった3DSはどうだったか。
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コイツはスマホが普及してきた時代においても、なおスマホとは違う個性を持っていた。
2画面、裸眼3D、魅力的なソフトがたくさん、スマホより低価格……。
だからこそ、令和まで生き残ることができた。最近は息しているのか怪しいけど、小型版スイッチが出るまでは、一応3DSの時代はまだ続いている。
デザインや素材も、初代3DSはカッコよかった。はじめて手にした瞬間、未来が来た喜びを感じたよ。
ただ、HOMEボタンが邪魔な位置にあったことを除けば完ぺきだった。
3DSについての過去記事↓
ゲームボーイ ~もはや伝説上の存在~
さて、平成の携帯ゲームハードを語るうえで、最も忘れてはならないのが、平成元年に発売した初代ゲームボーイだ。
もはや、神話の中の存在と言ってもいい。
「エデンの園仕様」のこのハードは、画面が白黒で小さく、8ビットしかない。
グラフィックは、今見たら、目が疲れて1分も遊べないかもしれない。私の近視の最大の原因はゲームボーイで間違いない。
遊ぶのに単3電池が4本も必要で、ずっしりと重い。
だが、とにかく、ソフトが魅力的すぎた。
私が初めて遊んだ「ゼルダの伝説 夢をみる島」にしても、「ポケットモンスター赤緑」にしても。
通信ケーブルという、無線が主流の今では考えられないような重装備もあった。しかしながら、当時「ゲームハード間で通信できる」ということを人々に気づかせてくれた、革命的なアイテムだった。
今でこそ皆さんは当たり前と思っているだろうが、当時はインターネットもまだ普及していなかったからね。
だからこそ「ポケモン赤緑」は、国内で822万本も売れた。
デザイン面を見ると、まあ今にして思えば、少しダサい。あとから出た兄弟機はみんなハンサムだが、この方は貫禄はあるが、カッコよさはイマイチだったね。
それでも、偉大な存在には変わりない。