さて、このブログを見る人の多くはポケモンやスプラトゥーン、あるいはFIFAあたりで勝ちたくてたまらない人なのだろう。
もしかしたら、当ブログとあまり関係ないFPSや格ゲーかもしれない。
私も勝ちたい。
だが不思議だ。何故我々はこんなにもオンライン対戦に勝ちたいのだろう。
我々はプロフェッショナルのeスポーツ選手ではない。ゲームに勝ってもお金がもらえたりはしない。
もちろん中にはそういう人もいるだろうが、99%の人たちはただ娯楽でビデオゲームを遊んでいるに過ぎないはずだ。
それなのに、我々はひたすらに顔が見えない相手への勝利を求めている。そして愚かにも、娯楽であるはずのビデオゲームでストレスを感じ、精神をすり減らし、時には同じチームのメンバーを呪ったりもする。
じゃあCPUに勝てば良いのではないか?
そんなことを言うと、「何を言ってるんだコイツは?」という顔をされる。
どうもCPUに勝ってもしょうがないらしい。
ビデオゲームのオンライン対戦に勝ちたい理由
そこで私は、何故私を含めた人々がこんなにも顔が見えない相手とのビデオゲームで勝ちにこだわるのかを考えた。
また、どうすれば本当に楽しく勝利を目指せるのかもね。
優越感を得るため
オンライン対戦で勝つということは、人間に勝つということ。
誰にでも自分は他人とは違うと思いたい欲求、すなわち優越感はある。
それを満たす方法としてビデオゲームが使われている。
この優越感を得るのが悪いことか?別にそんなことはない。誰しもが持っている欲求を満たしているだけだ。
ただ、この優越感というのは自尊心が無い人間が抱く一時的な感情なので、すぐさま次の優越感を求めて徘徊するゾンビのようになる。顔もゾンビみたいな死んだ目をしてプレイしているかもしれない。
いわば本能に従って動いているだけなので、プレイ後に残るものもあまりない。
1日に15分だけ遊ぶ人ならいいが、これを数時間やっていたらあまり健康的とは言えない。
有名になるため
有名になることは、まさに「自分が特別だ」という優越感を満たすための最たるものだろう。
ただ、勝利すること“のみ”で有名になるのは、他のどんな手段で有名になるよりも遥かに大変だ。
なので、大抵の有名プレイヤーはプレイ動画をアップロードして自分をPRしている。
こうなると収入も発生するし、また違うモチベーションが生まれるのだろう。
ただ刹那的な優越感を追い求めるよりは、現金という分かりやすい目標があるので、まだ健全と言える。収入が多くなれば、優越感が自尊心に変わる時が来る可能性も高い。
まあ少なくとも、ダラダラプレイは避けられそうだ。
負けることに恐怖を感じているため
失敗は許されないという教育を受けて育ってきたプレイヤーには、負ける恐怖の方が大きいかもしれない。
このような強迫観念の元でやっていたら、いずれは遊ばなくなってしまうだろう。
こういう人は対戦ゲーム以外を遊んだ方が幸せになれるはずだ。
何故なら、対戦すれば負けるのは当たり前のことだからだ。常に勝つと思っている人はバトル漫画の読み過ぎだ。
勝つ方が楽しいから
有名バスケ漫画スラムダンクには「勝った方が100倍楽しいもんな」というセリフがある。
単純にゲーム自体が楽しい。そして勝てばもっと楽しい。
理想的な精神の有り様だ。
ただし、勝った時の優越感の快感があまりに強烈なため、いつの間にか「ゲーム自体が楽しい」という気持ちを忘れがちだ。
そうならないためにどうすればいいか。簡単だ。
勝ったら嬉しいが、勝つことにこだわらないようにすればいい。いい試合、楽しい試合にしようという気持ちだけを持っていればいい。
そんな甘い考えは嫌だというのなら、2試合に1試合だけでも言うとおりにしてみるといい。
心を強くするため
オンラインで人間と戦うということは、シナリオに沿ってゲームをプレイするのとは違う。
つまり、どうなるか誰にも分からない。
そんな中で、負けることの恐怖にも打ち勝ち、優越感に浸る誘惑にも打ち勝ち、なお上を目指す人々がいる。
これが楽しいのかは分からないが、オンライン対戦は一種の精神修行にもなるようだ。
自分のスキルアップのため
ビデオゲームなんて、にやけ顔の人が帯で推薦してる啓発書よりも役に立たないと思っている人も多いだろう。確かに、大抵は何かの役に立つものでもない。
だが、たくさんの時間をかけたものが何も人生に影響を及ぼさないと考えるのは、逆に不自然だ。
思考力や判断力、反応速度などはオンライン対戦を通して鍛えられる。そういった能力を意識的あるいは無意識的に伸ばしたい気持ちがあるのだろう。
「成長したい」、という意識があると人は成長しやすい。結局はeがついてない方のスポーツと同じことだ。