最近、ポケモンGOにホウオウやルギアが登場し、大きな話題になった。
ポケモンGOをプレイしている人たちは、特にホウオウを欲しがっていると聞く。
捕まえるためには協力プレイが必須で、スポットの近くでスマホを弄っていると、マスクをかけた不審なおじさんがスマホを弄りながら近づいてくるらしい。
私も一応プレイはしているのだが、そのおじさん達の気持ちはとくと分からない。
GOばかりではない。ガオーレでもこのような記事が話題だった。
『ポケモンガオーレ』とかいう無垢な小学生から金を巻き上げる悪質なゲームに憤慨している。 - もはや日記とかそういう次元ではない
この方の記事は一見無秩序なようでいて、実に理にかなっている。
まずセンセーショナルなタイトルでゲームを批判する記事だと見せかけて、実は中身は肯定的に書いている。これにより不安な気持ちで記事を開いた読者は、最後に安心することができるので、この作者に対して親しみを感じやすくなる。
また自身の体験をもとに、ユーモアと自虐を交えてストーリー形式で書くことにより、読者の心をつかんでいる。写真が多いのも状況を掴みやすい。
行間を広く取り、あえてスクロールさせるのも、テクニックの一つだろう。パッと見は文字数が少ないのだが「次はどうなるのか」とスクロールしているうちに、いつの間にかたくさん読んでしまうのだ。
見習いたいものだ。
まあそんなブログの技術的な話は読者の皆さんは興味がないだろうから、話を本題に戻そう。
本家では全く必要性を感じないホウオウ
例えばポケモンバンクに2体のホウオウがいる私の場合は、こう考えている。
「ホウオウか、今2体いるし、ウルトラサンムーンが出たらGTSでトレード要員にしよう」
むしろ現在で言えば、ランドロスやボルトロスやカプ・レヒレやテッカグヤの特定性格個体の方が余程ほしい。
GOやガオーレ、あるいはTCGのホウオウはともかく、私は本家のゲームにおいて、あまりホウオウの価値は見いだせない。
観賞用に1体いれば十分だと考えているが、人によってはその1体すらいらないかもしれない。
何故かと言えば、「対戦で使えないから」の一言に尽きる。
この使えないというのには二つの意味がある。まず通常のルールではホウオウは「禁止伝説」という枠であり、出したくても出せない。
また時には、禁止伝説解禁のルールもあるが、このルール自体がそれほど人気がない。そしてホウオウも弱いわけではないのだが、アルセウスだとかグラードンだとかレックウザの方が人気だ。
ホウオウ以外の禁止伝説の話もしよう。
例えば、ソルガレオ。サンでリーリエから託された、大切なポケモンである。私は「ほしぐも」とニックネームをつけて、性格も厳選しレベル100まで育てたくらいには大事にしている。
あのリーリエから預かったのだから、無下にGTSに流せるはずがないと思うのだが、私の友人など、交換の弾にしてしまった人は結構見かけた。
リーリエが見たら泣き崩れてしまうに違いない。全く、非人道的な行為だ。ソルガレオも対戦では大して強くないとはいえ。
まあかくいう私も、XYではゼルネアスを簡単に手放して、性格補正なしのクレセリアと交換してしまったのだがね。今急にゼルネアスを用意しなきゃいけなくなったら、ちょっとまずい。彼は禁止伝説解禁のルールならかなり強いからね。
希少性の原理
私もポケモンGOならちょくちょくやったことがある。あれをやっていて思うのは、本家ではどうでもいいと思っていたポケモンでも、出会えると嬉しいことがあるということだ。
例えば、カイロスなどね。
「GTSでいくらでも手に入る」と思っていればまるで希少性を感じず、入手した時の喜びも薄い。
だが、「今この時を逃したらいつ手に入るか分からない」という切迫感が加われば途端に希少性が増し、入手した時の喜びも大きい。
これは経済学で言う所の「希少性の原理」というものだ。
ポケモンGOやガオーレではこの当たり前とも言える原理を上手く使っているのだが、何故か本家ではこれが活かされていない。
ポケモンGO、ガオーレをプレイしている人のホウオウのイメージ(半分は推測)
伝説のポケモン!珍しい!強い!神々しい!ポケモン界の頂点にして孤高!今年の映画でも主役!
私のホウオウのイメージ
今ではたくさんいる、十把一絡げの伝説のポケモン。昔は珍しいポケモンだったが、対戦じゃ使えないしなあ。今年の映画でもラスボス枠だったけど、結局戦闘シーンはカットだしなあ。ランドロスとかカプ・レヒレの有用性格個体の方がほしい。
むしろ現在の本家での方が異常なのだろう。なぜこのような印象がついてしまったのか。
やはり「禁止伝説」という枷は大きいのだろう。