ミュウツーの逆襲リメイクを見るのが不安な方へ。
リメイクというのは不思議なものだ。
楽しみでもあり、恐ろしくもある。
それが発表された瞬間はワッと期待が高まり、楽しみと希望に溢れているのに、少し時間が経つと何とも言えぬ不安が襲ってくる。
「本当に大丈夫か?」
「当時ならではの思い出補正があったのでは?」
「新しいスタッフが余計なことをするんじゃないか?」
不安の中身は様々で、絶えることはない。
おそらくリメイクのリリース当日は、誰もが期待と不安を半々に抱いていることだろう。
ミュウツーの逆襲Evolution(エヴォリューション)も、その例外ではない。
記念すべきポケモン映画1作目にして、全米で邦画史上最高の興行を誇る作品のリメイクだ。
手描きではなくフル3DCGになった本作を、どう見るべきか迷っている方も多いだろう。
当記事はそんな半信半疑なみなさんの指針になるべきものである。
もちろん、「この映画はなかったことにしよう」と思うのも自由だ。
なおストーリーのネタバレは少々あるが、21年前の映画を見ていた人なら、気にするほどのことは何も書いていない。
【総評】外面は大きく変わったが、内面は驚くほど良い意味で変わらず。
監督も脚本もキャストもテーマソングも当時のまま。ただグラフィックだけが美しく、そして少し違和感のある変化をした。
制作はいつものOLMに、SPRITEという制作会社が加わり、そこがCGを担当する形だ。
SPRITEは他に「スナックワールド」の劇場版や「ルドルフとイッパイアッテナ」の劇場版などを制作している。
予告などでビジュアルを見ると、ガラッと印象を変えたミュウツーの逆襲だが、実は中身は、驚くほど「そのまま」だ。
【グラフィック】人間の3DCGは違和感、ポケモンは最高
まず、人間のグラフィックは、かなり違和感があった。
子どもの頃、私はカスミのせくすぃーな感じが好きだったが、今回のカスミは全く色気を感じず、再登場の喜びは薄かった。
胸は削られ、腹の露出部分は最低限になり、そして顔もバービー人形のようになった。
ムサシも露骨にディズニーのような顔をしていた。
こういうキャラデザになった理由はすぐに分かった。北米でのヒットを意識したためだ。全米で邦画史上最高の売り上げを誇る作品のリメイクだから、これは仕方のないことかもしれない。
それでも私は、日本らしいセルルック(手描きアニメ風)のアニメで、北アメリカ大陸を唸らせて欲しかったがね。
一方で、ポケモンのCGモデルはとてもよい。手間暇がかかっている。特にミュウツーは最高だ。
「ソード・シールド」のようなセルルックでもなく、映画「名探偵ピカチュウ」のようにリアルすぎでもなく、その中間のバランスを追求したようだ。
特に惚れ惚れとしたのは「アーマード・ミュウツー」である。昔はそんな呼ばれ方をしてなかった気がするが――。
売り上げランキング: 2,901
こいつだけはデザインが大きく見直されており、ものすごくカッコよく変化した。
メタリックで、肩が発達しているのもいいし、拘束具をより強く印象付ける背中の羽のようなものもエモい。
あまりにもカッコいいので、ソード・シールドにも出てきて欲しいと切に思った。
それから背景のCGも素晴らしい。特にミュウツーが嵐を引き起こしサトシたちがその中を進むシーンは、「21年後の未来にきている」と感じた。
没入感は、圧倒的にメガシンカしてダイマックスしている。
【キャスト】21年前と変わらぬ奇跡の布陣
過去2年、サトシとピカチュウ以外は新キャラのポケモン映画だったが、今回は懐かしい顔ぶれがズラリと揃うことになった。
カスミ役の飯塚雅弓さん、タケシ役のうえだゆうじさんはもちろん、レイモンド・ジョンソンさんや小林幸子さんまでもが、21年前と同じキャラクターを演じた。
信じられるだろうか、まさかミュウツー役の市村正親さんまでも再演するだなんて。今年で70歳になっても、力強くミュウツーを演じておられる。
そしてミュウ役はもちろん、山寺宏一さん。この方がいなくちゃポケモン映画は始まらない、ナンバーワン男性声優だ。
このキャスト陣が一度揃うのですら奇跡だったと今ならば思えるが、よもや21年経ってまた揃うとは。
そして、締めのナレーションはストックを使ったのだと思うが、故人となった石塚運昇さんだった。
この声だけは変わると思っていたので、サプライズだった。石塚さんにとっては、最後のポケモン出演になるはずだ。
なお、ゲストキャラクターには新しい顔ぶれも。
ミュウツーの城に招かれたトレーナーには、あやねること佐倉綾音さんらがキャスティングされていた。
【脚本】当時そのままの、相変わらず難しいストーリー
脚本には、2010年に亡くなった故・首藤剛志さんがオリジナル同様にクレジットされ、大きな変更はなかった。
今は亡き氏の脚本がリスペクトされていた。
細かなセリフも含めて、当時そのままだと言っていいだろう。一部セリフの変更があった箇所もある気がするが、私の勘違いかもしれない。
ただ当時から感じていたが、この作品のテーマやシナリオは本当に難しく、評価も難しい。
分かりやすいエンターテイメントでないことは確かだ。
生き物とは何か、存在とは何か、最強とは何か、そんな哲学的なテーマは普遍的なものだ。映画1作目にこれを持ってきたポケモンは、かなりの冒険だった。
今だから話せるが、幼き日の私はもっとエンターテイメントが見たかった。生命倫理や自分の存在意義を学びたいわけではなかった。
この映画は、ポケモンが単なるエンターテイメントではなく、もっと深い世界であることを教えてくれたかのような作品だ。
だからこそ、今日でも変わらぬストーリーで通用しているのだろう。
独りよがりの「最強」。子供っぽく見えた今のミュウツー
かつてのミュウツーは、確かに最強のポケモンだった。あの頃のミュウツーが「最強」を自称するのは、説得力があった。
だがしかし、あれから21年も経った今では、そうでもない。
カイオーガやグラードンやレックウザ、ゼルネアスにイベルタル、ソルガレオにルナアーラにネクロズマ。禁止伝説ルールですら使えないアルセウスもいる。ザシアンやザマゼンタも、ミュウツーより強いかもしれない。
確かにミュウツーのエスパー技は強力で手が付けられないだろうが、エスパー無効の悪タイプのポケモンと出会ったことがないんだろう、なんて風にも思ってしまった。
ミュウツーよりも強いとされるポケモンはたくさんいる現在となっては、「最強」を自称するミュウツーは、あまりにも子供っぽく見えた。演じている市村さんは70歳の大御所なので、そのギャップにも萌えるね。
「誰が生んでくれと頼んだ」と人間に問いかけるシーンも、反抗期の中学生を見ているようだった。
実際、"生まれたばかりの子供"であるミュウツーは、あまりにも世界を知らなかった。
自身を生んだフジ博士やサカキのような偏った人間しか見てこなかったミュウツーは、それが人間のすべてだと思い込んでいた。また、シゲルのウインディやニドキングを倒したくらいで、自分が最強だと思い込んでいた。
そんな彼は、サトシやミュウと出会ったことで、まだまだ自分の知らない世界があることを悟ったのだ。
最後に旅立っていったミュウツーも、いつかは自分より強い存在と出会って、世界の広さを知るのだろうか。
【まとめ】ミュウツーの逆襲EVOL感想・評価
- 外面は変わり、内面は変わらずという奇跡。
- 21年前の脚本やキャスト陣への熱いリスペクト。
- 人間のCGは違和感。ポケモンや背景のCGは良い。
- ミュウツーが子供っぽく見えた。
合わせて読みたい